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Photo:PIXTA |
危機下では容認される財政ファイナンス
インフレ率も高まらず
欧州を代表する知識人のイワン・クラステフは、パンデミック危機は我々がこれまで不可能と考えていたことを可能にした、と論じる。例えば、反移民を掲げる欧州の右派ポピュリストが夢見たよりも、はるかに完全な国境の封鎖を一時的にせよ可能にした。
これになぞらえて言えば、MMT(現代貨幣理論)論者が夢見た中央銀行の財政ファイナンス(国債購入)による大規模財政以上のものを先進各国が実施した。さらに言えば、それでもインフレ率は低いままである。
日本を除くと、今回のパンデミック危機で、中銀の財政ファイナンスによる大規模財政を問題視する人はあまり多くはない。各国ともマクロ経済が大幅に落ち込み、家計の所得サポートや企業の資金繰り支援は不可欠だと多くの人は考えている。
追加財政に伴い大量の国債が発行されており、中央銀行が何もせず、長期金利が跳ね上がって、資本市場の不安定化でマクロ経済に悪影響が及べば大問題である。これを避けるには、財政ファイナンスが不可欠である。
また、各国とも需給ギャップが大幅に悪化し、物価にも大きな下押し圧力が加わっている。それ故、中央銀行がゼロ金利政策を行うだけでなく、大量の国債購入で長期金利を低く抑え込むことは、マクロ安定化政策の観点からも整合的である。
しかし、日本では財政ファイナンスを大きな問題と受け止める人が少なくない。何が最大の問題なのか。それが本稿のテーマである。
日銀の長短金利操作政策が
政府の財政膨張を支える皮肉
実のところ、制度的には、日本銀行は財政ファイナンスとは、最も距離を置いているともいえる。なぜなら、2016年9月にYCC(イールドカーブ・コントロール、長短金利操作)を導入し、10年金利を操作目標のゼロ%程度に誘導していたからである。
YCCを導入したのは、財政ファイナンスのためではなく、インフレを醸成することが目的だった。実効下限制約に直面しているが、グローバル経済が持ち直し、海外の長期金利が上昇した際、国内の長期金利をゼロ%に抑え込めば、円安進展など景気刺激効果を得られる。
政府の財政政策にかかわらず、長期金利に上昇圧力が加われば、国債購入を積極化させ、逆に低下圧力が強まれば、国債購入を減額する。財政と関わりなく、政治的に独立した中央銀行が長期金利目標を運営する。
しかし、逆説的だが、このYCCこそが、暗黙裡であるにせよ金融政策の公的債務管理への統合を可能にしている。フォワードガイダンス効果を最大限発揮させるスキームという点では評価できるが、大規模な追加財政が繰り返されるようになれば、マネー・プリンティングの装置になりかねないと、導入当時、筆者は懸念した。
振り返れば、過去数年、経済が完全雇用に到達しても、先行きが不安だからといって、消費増税の先送りが繰り返された。また、景気が足踏みすれば、赤字国債の増発で追加財政が打たれ、景気が良い時も赤字国債を発行するのではないと言い訳し、増えた税収を追加財政に振り向けた。
本来、こうした政治的な財政膨張圧力をけん制するのが、長期金利の上昇である。しかし、政治的に独立した中央銀行がインフレ目標の達成のために、YCCを通じ国債を大量購入するから、政治的な財政膨張圧力への歯止め効果がなくなった。これが筆者の「逆説的」の意味するところである。
もちろん、現在は、パンデミック危機であるのだから、追加財政が繰り返されるのはやむを得ない。また、パンデミック危機でなくても、経済が不況に陥れば、金融政策が実効下限制約に直面しているのだから、マクロ安定化政策として追加財政が発動されるのもやむを得ない。
マクロ経済の平準化は重要である。問題なのは、完全雇用となっても、長期金利が低く抑え込まれているため、追加財政が繰り返されていることである。また、同じように、パンデミック危機だといって、何でもありの政策が実行され、繰り返されることも問題である。
超低金利と追加財政継続が
低採算の企業を生き残らせ潜在成長率が低下
財政健全化や金融正常化を標榜する人は、一般に、財政ファイナンスが続けられると、いずれ高率のインフレが訪れると懸念する。
ただ、冒頭で論じた通り、今回のパンデミック危機で、需給ギャップは大幅に落ち込んでいる。また、企業は数年に一度繰り返す大きな経済危機に備え、どうやら今後も無形資産投資や人的資本投資を抑え込み、貯蓄を続けるようである。政府の追加財政は、企業の貯蓄増加の一部を吸収する程度であって、インフレが容易に上昇するとは思われない。
インフレが上昇しないのなら、中銀の財政ファイナンスで大規模な追加財政を繰り返しても、問題ないのではないか、とMMT論者から反論されそうである。「財政健全化を訴える人々は、30年間、狼が来ると繰り返したが、結局、やってこなかった」と。
財政ファイナンスを続けると、高率のインフレが訪れるから問題という主流派経済学の主張を繰り返すだけでは、MMT論者の主張に打ち負かされるのではないかと、筆者は心配している。
インフレという狼はなかなかやって来ないが、別の狼は既に訪れており、さらにもう1匹、別の狼が我々の近くをうろついているのではないだろうか。既に訪れている狼とは潜在成長率の低下であり、近くをうろついている別の狼とは金融システムの不安定化である。
まず、好不況にかかわらず、インフレ率が低いことを理由に、景気循環を超えて、超低金利政策が固定化され、追加財政が繰り返されると、どうなるか。大盤振る舞いのマクロ安定化政策なしには存続できない低採算の企業や投資プロジェクトばかりが増えていく。
つまり、生産性上昇率は悪化し、潜在成長率が低下する。過去10年あまり、成長戦略が遅々として進んでいないのは事実だが、その間、反・成長戦略が取られたわけではなかった。
にもかかわらず、潜在成長率の低下が続いているのは、本来、資源配分の効率性を追求すべき完全雇用局面においても、財政ファイナンス、すなわち超金融緩和政策が固定化され、追加財政が繰り返されてきたからではないのか。過度なマクロ安定化政策が潜在成長率を低下させているのである。
長期金利上昇抑制のために国債購入する日銀
公的債務膨張続き高まる金融システムへの懸念
潜在成長率を低下させているのは、資源配分のゆがみだけではない。所得分配のゆがみも潜在成長率の低下をもたらしている可能性がある。これまでの議論は、超金融緩和の固定化が財政膨張を助長したということだった。
それでは、なぜ超金融緩和が固定化されたのか。内需主導の景気回復が期待できないため、輸出セクターをサポートすべく、円高回避を最重要課題に、完全雇用となっても超金融緩和が続けられたのである。
円安のサポートで、輸出が増えると生産が増え、企業業績が改善し、最後には雇用者所得の増加とともに個人消費の回復にも火が付くかもしれない。しかし、である。過去4半世紀、個人消費にまで回復が及んだケースは一度もなかったというのが実態である。
本来、完全雇用になれば、金融市場を通じ、企業業績の改善が家計にも及んでくるはずである。企業部門の回復の恩恵が家計に伝わるのは、雇用を通じたものだけではない。市場金利が上昇すれば、家計の利子所得が増える。さらに市場金利の上昇が円高傾向をもたらし、輸入物価の下落を通じて、家計の実質購買力を改善させる。
しかし、完全雇用になっても、円高を恐れ超金融緩和が固定化された。一貫して家計を痛めつける政策を続けているのだから、個人消費が回復しなかったのも当然であろう。一方で、優遇された輸出部門は、人的資本投資も無形資産投資も怠り、キャッシュフローをため込んできた。
このように超金融緩和政策が固定化され、追加財政が繰り返される過程で、潜在成長率の低下という狼が既に日本経済に深く入り込んでいた。潜在成長率の低下の過程では、インフレ率はむしろ低下した。
そして、公的債務が未曽有の水準まで膨張することは、金融システムの不安定化というもう1匹の狼を引き寄せた。企業部門、あるいは家計部門であっても過剰債務が膨らめば、金融システムを不安定化させる。このことは、公的部門であったとしても変わらない。
まず、大量の国債発行が続けば、インフレが上昇しなくても、リスクプレミアムが上昇し、長期金利に上昇圧力がかかる。それが顕在化し、長期金利が急騰すれば、金融市場が動揺し、マクロ経済が不安定化する。
それ故、日本銀行は未然に防ぐべく、金利政策を駆使し、長期国債を大量に購入する。ただ、長期国債と交換するのは日銀当座預金であり、統合政府の負債は急激に短期化し、財務構造が不安定化する。
厄介なのは、赤字国債を幾ら発行しても日銀が長期金利を抑え込むとなると、財政コストの意識は希薄化し、ますます財政の中銀依存が強まることである。我々は既にこの過程にあると考えられる。
さらなる問題は、この悪循環によって、前述した通り、潜在成長率は一段の低下が続くことである。日銀の国債管理がうまくいけばいくほど、危機のマグマがため込まれ、制御不可能な公的債務の膨張に向かう。
政府と日銀は財政政策と金融政策の一体化認め
財政規律回復の枠組み提示を
これまで多くの人が最も懸念していたインフレという狼はなお不在だが、潜在成長率の低下という狼は既に長年にわたって日本経済を疲弊させ、それが足元のインフレをむしろ低下させたことで、我々は安心して公的債務の膨張を甘受してきた。
また、金融システムの不安定化というもう1匹の狼を日銀が抑え込もうとすること自体も、人々の財政コストに対する意識を希薄化させ、さらなる公的債務の膨張を助長し、潜在成長率の低下という狼をますます勢いづかせる。
もちろん、高率のインフレが訪れるリスクもゼロとはいえない。例えば、大幅な通貨安が訪れた場合、金融政策は既に公的債務に割り当てられているから、それを止められず、円安とインフレのスパイラルが進むリスクはある。
仮に高率のインフレを抑え込むために、日銀が利上げを行うと、未曽有の公的債務を抱えているため、財政の持続可能性が著しく脅かされるとともに、金融市場も大きく動揺し、マクロ経済が不安定化する。物価安定と金融システムの安定という中央銀行の2大目標の間で齟齬(そご)が生じる。
この時、我々は物価安定より金融システムやマクロ経済の安定を優先せざるを得ない。優先されるといっても、高率のインフレの下で達成されるレベルの金融システムやマクロ経済の安定性は、我々が慣れ親しんできた安定に比べるとはるかに質の劣ったものとなるであろう。
念のために言っておくと、仮に日本銀行がここで論じた財政ファイナンスの弊害を強く認識しても、現在の統治機構の枠組みの中では、パンデミック危機が解消した暁においても、公的債務が既に大幅に膨張しているため、長期国債の購入を減らし、長期金利の上昇を受け入れるわけにはいかないと思われる。
そもそも低いインフレ率と低い成長率の解消が容易ではないため、インフレーション・ターゲットの下では、金融引き締めを正当化するのは難しい。その結果、財政の中銀依存はますます進み、いや応なしに公的債務管理に組み込まれる。
筆者の見立てでは、もはや良い悪いの問題ではなく、日銀は事実上の公的債務管理に組み込まれており、そこから逃れることはまず不可能だろう。
この期に及んで、日銀首脳が財政ファイナンスではない、と繰り返すのは、建前上の問題だけでなく、問題のレベルが、中央銀行単独で解決可能な次元をはるかに超えているからではないのか。異次元の財政ファイナンスの領域に入っている。
筆者自身は、政府と中央銀行が、財政政策と金融政策の一体運営が事実上始まっていることを認めた上で、その副作用として弛緩(しかん)した財政規律を回復させる枠組みを作ることが不可欠だと考えている。
そこに至るまでの第一歩として、財政ファイナンスによって膨らんだ公的債務の最大の問題が潜在成長率の低下と金融システムの不安定化であり、特に前者については既に顕在化していることを我々は認識しなければならない。
公的債務膨張の弊害は高率のインフレだと繰り返していると、意図せずしてMMT理論を実践し、制御不能な公的債務を抱えることになりかねない。
(BNPパリバ証券経済調査本部長チーフエコノミスト 河野龍太郎)
※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら
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October 01, 2020 at 04:00AM
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